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【神谷光男 スポーツ随想】“ジンクスに負けた”総裁選不出馬の菅首相 五輪中止こそ最善のコロナ対策、最高の政権延命策だったのかも (1/2ページ)

 パラリンピックが閉幕した。7月23日の東京五輪開会式から始まったスポーツの祭典の大団円に合わせるように、五輪パラにGO指令を出した菅義偉首相も自民党総裁選の不出馬を表明。首相を辞任することになった。

 日本で五輪が開催されたのは今回で4回目だった。1964年の東京五輪では閉会式翌日の10月25日に池田勇人首相が病気のため辞任。72年札幌五輪の年には佐藤栄作首相が退陣。98年長野五輪の年には、参院選の自民大敗で橋本龍太郎首相が引責辞任している。

 日本で五輪が開催された年は首相が辞任するというジンクスは政界の俗説だった。東京五輪も予定通り20年開催なら、持病の悪化を理由に辞任した安倍晋三前首相もジンクス通りになる。菅首相は延期の揚げ句、ジンクスに負けた。こうなると、ただの巡り合わせでは片づけられない何かを感じる。

 「たら、れば」は禁句とはいえ、約8割の国民が懐疑的で中止論が渦巻いていた東京五輪だけに、菅首相が「中止」に踏み切っていたらどうなったか。「よくぞ決断した」と支持率は大幅に回復したかもしれない。

 しかし、強行開催してメダルラッシュで日本中が沸き返り、勢いに乗って解散総選挙に勝ち、党総裁選は無投票再選というシナリオを選択した。柔道男子60キロ級で高藤直寿が日本の金メダル第1号になると、首相は「来た、来た」とばかり祝福の電話をかけた。しかしメモの棒読みで会話がかみ合わず、政治利用のパフォーマンスと批判を浴びたのは皮肉だった。

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