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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(26)~滋賀~ 水色の近江“三本の矢”支えた小森捕手 瀬田工のゆる~いエース、甲西は初出場ながらも伝統校のごとし! 黄金時代築いた多賀監督 (1/3ページ)

 “看板の瀬田工”、“KKコンビに負けぬKの甲西”、“水色の近江”と滋賀県の高校野球はその印象がまぶたに焼き付くものが多い。

 まず、瀬田工業の看板とは中学生の頃無意識に眺めていた新幹線の車窓から目にしたものだ。たまたま野球部が練習していた。「瀬田といえば唐橋、唐橋は琵琶湖に架かり、そうか琵琶湖だから滋賀県の学校だ!」そんな連想ゲームで校名を意識して「確か甲子園にも出ていたよなぁ」と思いを巡らせた。

 1980年、その瀬田工業が春夏続けて甲子園出場を果たした。私がNHKに入社した年だ。通りすがりに覚えた学校だがセンバツに登場するとあってとても身近に感じうれしかった。試合をマークしていた。

 春は香川の丸亀商業に1対6で初戦敗退した。残念だったが健闘に拍手を送った。そして夏は想像を超える快進撃だった。ベスト4進出だ。春から夏への変わり身というのか、ものすごいチームになっていた。打撃戦あり、接戦あり、投手戦あり、変幻自在に戦う。

 この年のエースが忘れられない。超軟投派の布施寿則。右のアンダーハンド。秋田商業を完封したときのピッチングにはほれぼれした。プロ注目の本格派右腕高山郁夫(現・オリックスコーチ)と渡り合った布施はとにかくボールが緩い。90キロか80キロ、いや70キロ台もあったのではないか。速球は120キロくらい。スピード表示がない時代だから何とも言えないが緩急どころではなく「緩」から「超緩」なんていう切り替えもあった。

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